今日坊は学校へ行った。
行った行かないで一喜一憂するわけでもないけれど、やっぱり坊が家に居ないと正直楽ではある。
朝、薬(コンサータ18㍉)を飲ませ忘れたけれど、今日は調子が良かったようで一週間ぶりの学校でもイライラせず過ごせたようだ。
その後放課後デイでもカリキュラムである課題に黙々と取り組めたようで、先生に褒めてもらえ嬉しそうだった坊君。
いつもこんな調子なら良いのに。
薬を飲まなくても調子の良い時は本当に物事がスムーズに進む。逆に薬を飲んでも調子の悪い時は何かに付けて絡みイライラしやすく、感情のコントロールが難しい。
10月から週に3回薬(コンサータ18㍉)を飲ませることに承諾してくれた若旦那氏。
彼もなかなか頑固で坊の育児に関してはかなりのこだわりがあり、育児方針には彼なりの信念(美学)を強く持っている。そのため定期的に薬を飲ませるまでには何度も話し合いかなり時間がかかった。
コンサータを飲ませ始めた感想
●人の話をやや素直に聞けるようになった
●癇癪(イライラ)がやや減少した
●多動衝動不注意がやや減少した
飲まなくても今日のように調子が良い時もあるが、やはり薬を飲んだ日は比較的穏やかに過ごせている印象がある。
癇癪が減るだけでもわたしは助かる。一緒に暮らす人間が始終イライラしていたらこちらの精神が持たない。
今年4月から支援級になり環境が大きく変わって一時期癇癪がひどかったけれど、夏休みにはそこそこ情緒は安定していた。けれど9月は自主欠席したため退屈なのと、ずっと家にいるストレスから感情の暴走があったりで、わたしの精神がやられてしまった。
若旦那君との議論もわたしは本当に疲れてしまった。
もう心底疲れ切った。
苦悩して熟考し自分なりに最善だと思う答えを見つけた。
わたし自身の過去のトラウマにも気付き、どの様に癒やすんだろうと心療内科の予約日も楽しみだった。
今までの事がすべて吹っ切れ昨日まで気分良く過ごしていた。
朝、坊は学校へ行き、リビングは静かだった。
少し横になると気持ちが強く落ち込み涙が止まらなくなった。
何故涙が出るのだろう?何故強く落ち込むのだろう?
身体は重くて動かないし、気分の落ち込み方がひどかった。
今日はそうやってほぼ1日横になって過ごした。
頭と心に時差がある。
頭で理解して納得したつもりでも、わたしの心はいつも置き去りにされたままなんだろうか?
いったい自分に何が起きているんだろう?
ただ今までの緊張感が緩み一気に解き放たれただけならいいんだけれども。
精神的な心の疲れを取るって本当に難しいし、時間がかかるのかもしれない。
人生最後の育児がこれほど大変なものになるとは想像していなかっただけに、やっぱり自分が思うよりずっと強いダメージを負っているのかもしれない。
わたしは前世でなにかとんでもない大罪を犯し今世生まれてきたんだろうか?
とんでもないカルマでも背負っているんだろうか?
心療内科がとにかく待ち遠しい。
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