この出来事で全ての体験者が焦燥感や恐怖
漠然とした不安を抱えることとなり
わたしもその例外では無かった。
買い物に行ってもすぐに食べられるものが何も無く
パンの棚もガランとしていて何も無かった。
米も水も棚には無くわたしは焦った。
前夫の元で暮らしている子供の事も心配で居ても立ってもいられない
けれどどうすることも出来ない八方塞りの状況に
わたしはパニック寸前だった。
その後も余震が続き恐怖が冷めやらぬ中で起きた
福島の原発事故。
計画停電が発表され
わたしの職場は営業が困難となり
正社員以外は労働時間の短縮の他
賃金のカット、交通費のカット等が言い渡され、
任意の退職希望も募り出した。
彼は大きな会社だったのでそれまで通り出勤していたが
わたしは40分~50分かけて職場に通っており
その労働条件では給料が無いに等しく、
彼と相談した結果会社を辞めた。
今にして思えば彼の職場が
この震災に動じなくて本当にラッキーだったと思う。
もしもあの時2人とも職を失っていたら
今ある未来は間違いなく存在しなかっただろう。
その後仕事を探すも、
世の中がこのような状況の中
そう簡単に職が見つかるはずも無く
わたしはマンションの部屋に篭り1人悶々としていた。
仕事も無くまだまだ余震が続く恐怖の中
わたしは1人先の見えない不安と戦っていた。
もう3年以上不眠で薬を常用していたが
飲んでも眠れない日々が続いた。
彼1人に働かせてしまい申し訳なく
自分がものすごくお荷物のように感じた。
もちろん彼はわたしを責めたりしなかったし
6月にはボーナスが出るから働けなくても心配無いと言ってはくれたが
わたしはわけの分からない焦燥感から抜け出せず
彼が何を言っても不安を消し去る事は出来なかった。
そんな状況が2ヶ月程続き
その間わたしの鬱状態が特にひどく現れていた。
本当に彼の愛情無くして
わたしは心の病を克服する事は出来なかっただろう。
その頃の彼はわたしの精神安定剤であり
心の癒しの源であり
いつ何時も常にわたしの心を落ち着かせ癒し続けてくれた。
眠る時も彼と手をつなぎ眠った。
こうした彼の支えのお陰で
わたしはようやく仕事を見付ける事が出来た。
わたしは少しでもお金を稼ぎ
彼の好きな美味しい料理を作り、
彼が喜ぶ事で 自分の存在価値を見出していたので、
仕事を始めてからみるみる元気を取り戻していったように思う。
そしてこの震災を期に
わたしと彼の絆がより深まった事は間違い無かった。
続く・・・
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