昨日はやはり疲れていたせいか 結局1日パジャマで過ごし
夜10時には坊と寝てしまった。
そして夜中の2度目の授乳で完全に目が覚めた。
時間は午前4時40分。 起きるにはまだ早い・・
さてどうしよう?
やることも無くわたしは自然に昨日の続きを思い出した。
そう 「やっぱり鬱病だったんだ わたし!」 の後。
いったい何故? いつから?
過去の出来事がグルグルと頭に浮かんでは消えた。
そして幼少の頃のわたし。
「自分がされて嫌なことは 人にもしてはいけない。
人の判断に流されず 自分がどう思うかで物事の判断をしよう。」
小学校高学年あたりから
こんな風な事をモットーとしていたわたし。
きっと母に言われた事なのだろう。
当然誰もがこんな風に考え人と接し
判断を間違えたら考えを悔い改め
また正しく人に接する。
みんながそうなんだと信じていた。
子供の頃信じて疑わなかった こんな考えが
なぜか大人になってもわたしの心の中のどこかに
それがずっと残っていて
大人になって社会の厳しさを叩き込まれても
芯から悪い人間なんかいないと思っていた。
会社で仕事が出来ず
みんなに背を向けられ相手にされなくなった
「使い物にならない人達」 をも
わたしは見放す事が出来ず
最後まで気長に仕事を教えたり
優しく接したりした。
前夫との生活で心が疲れ果ててしまった原因は
わたしのこの間違った認識のせいなんだ!
・自分がされて嫌なことは 人にもしてはいけない。
・芯から悪い人間なんかいないと思っていた。
・判断を間違えたら考えを悔い改め また正しく人に接する。
・みんながそうなんだと信じていた。
主にこの4つ。
これはある意味正しいけれど
ある意味間違っているのだ。
・自分がされて嫌な事を 人にもする人間がいる。
・芯から悪い人間もいる。
・判断を間違えても悔い改めない強情な人間もいる。
・みんなが善良な人間では無い。
これが正しいのだろう。
前夫は
人を愛し 人に思いやりを持ち 人と心を通わせる
といった事がまるで出来ない人
否 それをしない人 であった。
わたしは そんな人がこの世に居るはずが無い
いつか分かり合えるだろうと信じて疑わなかった。
まして自分の配偶者を 故意にいじめ
嫌がらせをする人などいるはずが無い と
信じて疑わなかった。
そして時間をかけ
わたしは気長に彼に教えた。
夫婦とは 云々、
家族とは 云々、
人との接し方とは 云々・・・
前夫の気を損ねないように優しく
喧嘩になったこともあったけれど
わたしは何年も何年もその事に心を砕き時間を割いた。
けれどもその度にその思いは打ち砕かれ
そして疲れてしまったのだ。
心身共に疲れきってしまったのだ。
馬鹿げた事に ずいぶん無駄な時間を費やしたものだ。
考えがまとまって わたしはずいぶんスッキリした気分だった。
若旦那君が早起きしたので早速その話をしてみた。
そして
「思うに・・ようはわたしって馬鹿だったんだね~!」と。
チョコミントさんは心から純粋な人だよ。
そして世間知らず。
若旦那君はそう言った。
この年でようやく
わたしは自分という人間を深く掘り下げて考え
自分の本質を知ることが出来た。
そして
今までなんて無防備だったんだろうと 反省した。
わたしのようなお人好しで無防備な女性は他にもたくさん居ると わたしは思う。
子供の頃 わたしは両親に健全で正しいことを教えてもらった。
わたしも自分の子には正しいことを教え育てたいと思う。
「自分がされて嫌なことは 人にもしてはいけない。
人の判断に流されず 自分がどう思うかで物事の判断をしよう。」
そして
・自分がされて嫌な事を 人にもする人間がいる。
・芯から悪い人間もいる。
・判断を間違えても悔い改めない強情な人間もいる。
・みんなが善良な人間では無い。
・世の中には 悪意に満ちた人間も居る。
中学生くらいになったらこんな現実もしっかり教えていこう。
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