昨夜は若旦那君とまた話し込んでしまい、時計を見たら深夜3時を過ぎていた。わたしの言葉選びが悪いのか言い方が淡々としているせいか分からないけれども、また若旦那氏の気分を損ねてしまった。また、というのは今までにも坊の話し合いで不機嫌になってしまうことが何度もあったからだ。
わたしは全く口撃しているわけでもなく、むしろあの時は流石だったね、と褒めたつもりだったんだけれど。人間の地雷とか怒りの沸点とかが、わたしにはよくわからない。一緒に暮らしている若旦那氏でさえ何故急に不機嫌になるのか?
こうなる時いつもわたしは不思議だったので、何が悪かったのか徹底的に話して理解しようとした結果、深夜3時までの話し合いとなってしまった(T_T)
まあ結局の所、更に理解は深まったんだけれど、分かったつもりでもまだまだ理解できていない知らなかった一面が多々あったり、わたしが理解しようとしていなかった一面があったりと細部に潜入捜査したみたいな状態になり、人間って本当に多面的な生き物なんだな、、、とわたし自身にも気付きになった。
そしてわたしが自分のアイデンティティを知り理解し、若旦那氏も同じ様に更に自分を理解していたようだった。脳の思考の仕方なんかを比較して男女差や諸々が明らかになったりとなかなか深い理解につながったと思う。
日本という小さな国。単一民族であり、みんながどんぐりの背比べをしながら、みんな同じであることで安心を得て生活してきたんだと思う日本の人々。
今までは自分で何も考えなくてもみんなと同じことをやっていれば良かったんだけど、時代はもう個の時代になってしまった。個性というものが必要で、それぞれが個性を尊重しながら生きていく時代に切り替わったの。
だからね、これからはみんな同じじゃなくていい。自分のアイデンティティを隠さなくていい。自分はこういう人間なんですよと表明していい。別に喧嘩腰で表明するわけじゃない。
何故人間は自分より優れていると思う者に嫉妬したり、マウントをとり上下関係を強いたりするのか?例えばネット叩き(誹謗中傷)なんかを想像してみて欲しいんだけど。
わたしは嫉妬という厄介で面倒な念をできる限り避けて生きてきたけれど、そういう必要もなくなってきた。
結局ね、自分は劣っているという思い込みのような念が、誰かを妬んで傷つけ、そうすることでしか自分を癒せない、或いは正当化できない哀れな人間がたくさん居るんだけど、実はみんな個性を持っていて嫉妬なんかする必要も無いの本当は。何も考えないで、みんな一緒どんぐりの背比べで、みんなに合わせて生きてきちゃったから、自分の優れている部分に気がついてない人がたくさん居て、だから自分がわからないし理解することもできない。
だから自分より優れてると思う人間をなかなか認めることができないし、出る杭を打ってしまうの。みんなと一緒じゃないのが許せないっていう発想。
出る杭を打ってる暇があるなら自分の事理解して自分を尊重して、自分を大切にしてほしい。
誰かを傷付けてる場合じゃないの。誰かを傷付けている行為は自分を傷付けていることと同じだからね。何故ってブーメランだから。
これからの時代、自己愛なくして生きるのは辛いと思うよ。延々誰かにマウントとって自分を励ますなんてなんの意味もない。ナンセンスな生き方は時間の無駄でしかないもんね。
今日はエンジェルナンバー1111の日。いろいろと教えてくれたことを記しました。
いつもありがとう
心から愛と感謝を込めて…
*チョコミント*
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